レオナルド・ディカプリオ

レオナルド・ディカプリオって俳優として、好きじゃない。
頑張って大人になろうとしてる気がして。



レオナルド・デイカプリオは、自分のハートのままに
世界を2年かけて旅して、
美しく、そして分かりやすく映像にしたんだと思う


自分が納得したいから。たぶん。

Before The Flood
http://www.ngcjapan.com/tv/lineup/prgmtop/index/prgm_cd/2058

フラッシュバック

過去の記憶は危険信号として大脳に残り
フラッシュバックされる

”7歳と44歳の時に何か心に深く残る出来事がありましたね”
今年の9月にキネシオロジー*1のセッションを受けてそう言われたとき、そのとき7歳の自分に何が起こっていたのか、何も思い出すことができなかった。

先週の日曜日、横浜でNVC*2のワークショップを受けて
キネシオロジーで言われていた7歳のころの出来事が何だったのか分かった。

小学校に入って入間に引っ越し、同じ団地に住む友達兄弟と、コンクリートで囲った花壇の淵の上を走って遊んでいた。
私は足を踏み外して、コンクリートにお腹をぶつけてしばらく動けなかった。でも、そうゆうとき、なぜか自分の体が苦しいということを周りに言うことができなかった。
すぐ近くに姉はいたけれど、私の様子を遠めに見ているだけ。


その時の記憶。


同じような体験をしたことがあったのは、
大きな材を人工乾燥機に入れる作業をしていて、自分の足を滑らせて材の上に落ち、お腹を思いっきりぶつけたことがあった。
でも、自分の身に起きたことや失敗を、周囲の人にに気づかれないように、何食わぬ顔をしてしまう癖があった。私の人生の中で、一番信頼していた彼氏にも言うことがなかった。


そのときの体は、過去の記憶をフラッシュバックさせていたのかもしれないけれど、自分の内面に気づく自分はまだいなかった。それから私はカナダへ初めての旅に出てそれは、自分探しの旅のはじまりだったのだろうけれど、それさえも明確じゃなくて、行く先々でいつも違和感を感じながら、旅を続けていた。


私が生まれて育っていく中で、身近な家族から気を止めてもらう経験が少なかったことが、自分と他人を身近に感じることができずに壁を作り、そしてそれを隠すように振舞ってきたんだと思う。
NVCのワークから、自分の過去の記憶と今の自分が苦手とする理由の、こんがらがっていた糸がほどけていくように理解できた。

赤ちゃんは4か月で自分とお母さんの関係から、筋肉や心の動く範囲が決まる


それはその子の心や体の発育に大きく影響を与える

結婚してから、母が私の赤ん坊のころの話を何度かしてきたことがあった。
歩行器で何度も転んで失神っを起こして、、何度も転んでこんな風に失神して、と笑う。


今振り返って、母の母性を感じることがなかったと気づく。ひっくり返ることが分かっているのなら、、と考えてしまう。
家族に対して手を差し伸べる親の姿を見たことがなくて
いろんな小さな ”はてな ”がはっきりしはじめた。


父は大学教授だったけれど、クリスチャンでもあるのによく殴った。そんな父を人間として尊敬できずにいた私だから、教育者をあまりいい目で見てこれなかったのだとも、今は思う。


誰かが近くにいることに違和感のような、不安がある


生まれて数か月から、高校卒業後の親元を離れるまで、いつもどこかに疎外感を感じていた私の体。
NVCでサラ・ペイトンに抱きしめられて、初めて心の底から涙が出て、体の痛みが消えた気がした。

アルバムのどの写真を見ても心から笑っている私がいなかったのは、両親や兄弟の間に肌で暖かさを感じる時間がなかったように思う。父を責めないのは、小さい頃、車の中で私が眠ってしまうと、父がいつも私を両手で抱いて部屋まで運んでくれた体の記憶があるのかもしれない。
過去の記憶を振り帰ってみても、母に抱っこされた記憶がないことも最近気がついて。
寝たふりをして父に抱っこしてもらってそこに人肌を感じていたのかも。


自分はシャイな性格なのだと思って生きてきたけれど、
私の幼少期は想像力やユーモアがいっぱいあった。
残念だけれど、想像を膨らまして作ったものは翌日にはどこにもなかった。そのときはがっかりしても、すぐに忘れていた気がするけれど。

小学校の時は泣き寝入りをすることが多かったことも思い出して
私が女の子としての時間を存分に楽しむことができなかった理由が見えて来た。


自分と自分以外に、深い崖のような隔たりが自分の周りに出来ていることも、そんな感覚が自分にあることさえも、今まできちんと認識していなかった。


兄弟たちは、家族なのに、家族ではなかった。家で生活しているけれど、繋がりというものがなかった。


体に痛みを感じていても、心に痛みを感じていても、母が父が兄弟が手を差しのべた記憶は私にはなかった。


どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、ひとりでこらえるしかない、そうゆう家族の中にいたんだなと。

長年その中にいると
気づかなくて


高校を卒業して親元を離れてからの人生は、愛されることが毎日あって、薔薇色の時間だった。

その理由を当時の私は全く理解していなかったから、私を深く愛してくれる人の気持ちを、充分には受け取ることができなかったんだということも、今は理解できる。

親が愛情を注げない理由


原因はきっと親自身の人生で家族や身近な人を亡くしたり、不安定な環境や未熟な理解のために、
産まれてこなかった者への自分の心の整理をつけないまま私達が生まれてきたからということが言えるようだとサラのワークで知って少しは気持ちが楽になった。

親やパートナーが素直な心になれないでいるのは、世の中に起きた争いが起因しているんじゃないか。色々整理していく中でそう思い当った。そして、それはNVCのワークショップでも行きついたことだった。

父や母が戦争前後に、愛情を充分にもらう代わりに、寂しさや差別的なことを受けていたことが、体や心の記憶に未だに残っていて、それを水に流すことができないでいるから、身近なものへ自分がされてきたことを繰り返してしまう。

両親はこちらを見ることも、愛情を注ぐこともできず、教会という括りの中で自分は守られていると、ずっと何かからか自分を守るために通っているのかもしれない。


なんで気づいてくれない?
自分を見つめようとしない?


親が愛情表現をしないもどかしさに、イライラしている自分がいて

そのイライラや疎外感を埋めたくて、マクロビオティックにハマり、自分の心の満たされない部分を埋めようとしていた、と気づけたのは離婚をしてから。


何かに飢えていて、カフェやレストランに出かけてみたけれど、満たされることはない。

自分を満たすことができるのは、自分の料理だけなんだと再度気づくのに、かなり遠回りをしてしまった。

私が居心地よくいられるところは?


自分を満たせるものは、自分で作る
そう考えていたわけではなかったけれど


私の元に生まれてきた子供たち

彼らがいるだけで充分なんだ
いつも笑顔を向けてくれる彼らに
どうしてそんなに笑顔を向けてくれるのか不思議だったけれど、
やっと気づいた私。


生まれてから、1分1秒その成長を見つめて、お互い安心の中にいる関係性は、いつの間にかできていた。

「彼らが望む生き方を支えて行きたい」

その思いが強かった訳も今更分かったりして。


彼らと人生を楽しむことを選んで、
いつまでも、そのとびきりの笑顔、素直な心で育って欲しいと願う。


私の人生の宝物は目の前にやってきていたんだね。


大好きな子供たち
自由に思う存分生きてほしいから
母もあなたたちのために頑張るね😊

*1:筋反射テスト

*2:共感コミュニケーション

あれから、ちょうど一か月

キネシオロジー

一か月前のこと。何度か耳にしたことがあった”キネシオロジー
ラジオのパーソナリティーがブログで紹介していたのを読んで、自分にフィットしそうだなと直感。
閑静な住宅街でキネシオロジーを受けてきました。受けるまでは、INOは全く自覚していなかったのだけれど、

蜘蛛の糸のようにと〜っても細い気。その細い一本の気で体を毎日持ち上げて過ごしていたような感じでした。
キネシオロジーを受ける前日のことを振り返ると、よくあの状態で電ノコとか回していたな・・・とも思う。(笑)内装を自分でしているINOです〜。

セッションに入って40分間くらいかな、、INOはただベッドに仰向けに寝ているだけ。カウンセラーは筋反射を取りながら、黙々と何かを書留めていて
最初は何をしてるの?って感じだった。
初めはただ寝そべっている状態だったから正直退屈(*_*)

でもそのあとからの時間はかなり濃厚で、ストレスのある脳の箇所とか、過去に受けたひどい経験だとかを体は正直に記憶していて、
様々なことをカウンセラーが引き出してくれていた。
これまでの苦しい思いを体に詰め込み、押し殺していた。それを体の奥から、やっと解放することができて涙が止まらなかった。

よく右と左を言い間違える

INOは結婚中に車に乗っていて、よく「右!右!」と言いながら左を差していたり、その逆のことも言ってしまうことがよくあった。これは自分の母親にも言えることで、
遺伝みたいなもんだと思っていた。けれどこのセッション中に、そういったことが起こるのは、実は脳の回路の中にストレスの箇所があると起こると知らされた。

あることをしたくて、脳に命令が行くのだけれど、その途中にストレスがあるとそのストレスを回避したときに、そのまま反対の方へ命令が行ってしまうことが起こる。
”その結果右が左になってしまったり、最初に考えていたことが、そこにまたストレスが発生すると逆の言葉が出てしまったりもする”ということだった。
自分の若いころに起きた強いストレスは、脳の回路にストレスを残していたんだ。

ベッドに横たわりながら、カードをINOの身体に滑らせていく。3種類引くように出てきたので一枚づつ引く。そして、引いた順番も大切だと。最初に出てきたのは

”あなたは完全に守られている。だから安心しなさい”

INOは子供を産んでからよく戦争へ行った祖父が脳裏に出てきていた。だから、祖父はいつも私を見守っていくれてる。そう思っていた。だからこのカードの意味はすぐに体に浸透した。

”変革”
次のカードは変革だった。それは、これから自分が選択していく物事に映し出されていくんだろう。

”東を向いて笑い、西を向いて微笑みなさい”ユーモラスなシーサー。

もともとユーモアが足りない?
いや違うな、、思い返せば幼いころは3人兄弟の中でも一番ユーモアがあったINO。その後の出来事でそういったことができなくなっていたんだろうな。
いつかシーサーのいる沖縄に微笑みを。

目標を立てる

カードを引いたあと、体からの反射によって出てきた事柄を踏まえこれからの自分を、言葉にして目標を立てるという作業へ。

そして最後に音叉。これは、ブループリントに触れることになるので、受けたあとにひどい引き籠りになったり、家庭崩壊へ向かってしまう人もいるのであまりお勧めはしないと言われた。
でも、筋反射では受けるようにって言っているらしく、すごーく音叉を受けたい自分がいたので、大丈夫です!ってお願いした。

ああ、やっぱり受けてよかった〜〜。半分無意識の状態で音叉の倍音の中に体が包み込まれる。
セッションは思っていた以上に長くて、終わったときに時計を見てびっくりしてしまった!これから一か月間、自分の中の整理が始まるのだろう。まだまだ気持ちは暗いけど、セッションいいタイミングで受けられた気がする。

苦しみを通して、花開くように

あれから一か月。最後の一週間が精神的に一番、本当に苦しかった、、。最後の金曜日は、苦しくて重い心を抱えてしまってたのだけれど。それが、、その苦しくて重い心の力で扉を開けたように心が平坦になった。
ふわっと開いたものだから、ぽけーーっとしてしまったINO。色々なことを忘れて、あー!!やっちまったー!ちょっと失敗!でも、その失敗も結果的に周りとのコミュニケーションに繋がって、今までとは違う繋がりもいくつか出来てきた。

INOにとって、実の姉は私に対して、いつも冷淡な人だった。表向きは穏やかなんだよね。成績もいいし、人付き合いもうまい。
INOがカナダへ1年間行ったあと、姉がネパールに滞在していることを母親から聞き、姉の親友が姉たちの一行にこれから合流するから、一緒に行く?と聞いてきた。向こうで落ち合おう!という流れになった。携帯なんかなくて、海外とはファックスでやり取りをしてた時代。姉がインドにいつ入るとか、どこで落ち合うとかはほとんど大まかに把握しているだけの姉の親友は、インドは何とかなるものよ〜と。なんだかワクワクしてしまった。
インドに着いて初めの数日は、向こうで出会った日本人と数日は一緒に行動をしていて、そのうち姉の親友たちにも出会うことができた。それから数日後、バザールを歩いていたら、バザールの向こうから歩いてくる姉が視界に入ってきた。姉に顔を合わせると、
”なんであんたがここにいるのよ!”
冷淡な姉の一言に、ちょっとたじろいだINO。

キネシオロジーから1か月経って、思い出したことがあった。姉を妊娠したあたりで、うちの母は風邪薬を飲んでしまった。その影響が胎児に出ないか心配していたという。五体満足で生まれてきて母はホッとしたのだった。でも、もしかしたらそういった薬が胎児の心に影響を及ぼしているかもしれないってINOは感じた。そう思ったら、姉の冷淡さも仕方がないことだったんだと今受け入れることができた。

昨日、今日と日が経つにつれ、少しづついろんな事が開放に向かっている。
体にはいろんな記憶が閉じ込められてるんだね。。。そして、苦しみは自分の人生をより豊かにするためへのヒントも隠されている。

今日は久しぶりに子供たちと外に出て、体も動かして、一緒に絵を描いてハマったり、共同作業をしたり。。
忘れていた時間の過ごし方を思い出して心がホッとした。

その夜、サルガドの映像に出会う。
https://www.youtube.com/watch?v=mylzHrHA0J4
原住民がみな穏やかであるように、INOも忘れていたことを少しづつ日々に取り入れていこう。
そう思った夏の終わりのINOでした。

深い森はあなたに繋がっている

出会った人に今を伝える

地球を宇宙から眺めてごらん。

あなたの生まれた土地にも息をのむような、大自然があり、それをそこに住む人々が大切にするように、
各地の自然は、私たちもあなたも永く愛してきた大地。あなたの父や母、先祖が地球の土となり、森となり、あなたにあなたに繋がるものに安らぎを与え続ける。

どの大地も、どの森もあなたに繋がってる。草の上に寝転んでごらん。遠い記憶からあなたの根っこは気づく。

あなたにも、私にも、あなたから生まれる子供にも、
深い森は、あなたやあなたの目の前のものたちと繋がってる。
あなたの心は気づいたでしょう。

やんばるの森、沖縄の大地、日本の豊かな自然は大切に守ります。
私たちに続く、子供たちが永遠に受け取る宝物だから。

広島平和の日に

8月頭にこどもたちと、今治に行くことにしていたINO。息子の11歳の誕生日に穏やかな海で遊ばせたかったから。
今朝気が付いたけれど、8月6日が広島の平和の日だった。
今治から足を延ばせば2時間ほど。

広島へ行ったことがなかったINO。知り合いが広島のドーム前へ、今年初めて訪れたときに、ものすごい悲しみが襲ってきたのだそう。知り合いはそのとき子供たちと一緒だったから、その内面をそのとき表には出せなかった。ただ涙が頬をつたっていた。

その知り合いの文章が気になっていた。私も広島の原爆ドームへ足を向けてみたい。
自分の心に気づいたら、その勇気を自分のために使えばいいんだよねきっと。

INOは子供たちと、国の人々が集う式典に足を延ばしてたいと思う。今日は心を素直に伝えるチラシを作ろうかな。
東京へ行ける人は、アメリカ大使館に気持ちを届けることができるかもしれない。
地方の人は、街のお役人さんに、町の人に、太郎さんの気持ちを手渡せるかもしれない。

なにかできるよね。きっと。
体力と時間と高江の住人のサポートができる人は、太郎さんや高江の住人の力になってあげてください。
マナーを保ち、平和の心で高江の住人のして欲しいカタチでサポートすれば、大きな力になるでしょう。

太郎さんの気持ち↓
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-12185094837.html#cbox

やんばるには、森を守る人がいる

やんばるには、森を守る人がいる

沖縄で今起きていること、ほとんどの日本の人が知らないんだよね。INOもほとんど知らなかった。
興味がわくような形でINOの目には触れてこなかったのかも。

7月10日を過ぎてから、INOは心が熱くなることが出てきた。
大自然が大好きなんだなって改めて思うきっかけにもなったと思う、やんばるの森に関わる出来事。

沖縄にはお腹の中で7か月になるJOEYと行ったことがあって、そのあとも何度か訪れていたけれど、『やんばる』という言葉の響きを背中で感じていたのに、これまでちゃんと意識を向けるまでには至ってなかった。

『なにか感じたら、一人に確実に伝える』

最近ひとつ自分の中でどうしたらいいんだろう?ってぐるぐる、頭がいっぱいになることがある。一晩眠れずに朝を迎えると、早朝になってヒントのように言葉が頭に浮かぶ。
そのヒントを無駄にしないように、次に繋げたいって胸が熱くなる。


やんばるの偉大な森の中、そこに住む人たちがいる。けれど、その地を愛するために、ではなくて、だれか、どこかを攻撃したくてウズウズしている一握りの権力に、何もわからず、ただ従って自分を見失いつつある人が、森を愛する住人を苦しませ、公平のための裁判所が、いつの間にか圧力と成り変わってしまった。


『胸に何かを感じたら、一人でいいから気持ちを伝える』


身近な人に気持ちを伝えてみる。起こっている内容も大事だけれど、自分が何を感じているのかを伝えることなのかな。自分が知ったことを、確実に誰かに伝えられたら、ひとつ広がりができるかもしれない。

『平和ボケ』
どこか上の空に、誰かのことのように口にしてしまう言葉だけれど、自分が平和ボケを作ってたのかも。

勇気。勇気を持つ人になる

勇気を持って伝える親になれば、この子供たちの時代に確実に何かを残せているはず。他人にどんなふうに伝えるのかってとっても難しい。
感情に振り回されがちだけれど、
伝えなかったら、やばいんじゃないのかな。(笑)

本来なら、情報にかかわる人たちに、一般の方々が目にするテレビ・ラジオでありのままを流して頂くことが使命だとは思うの。

何かを伝えたいから、その職に就いたはず。自分の心が熱くなるとか、そこに何かを感じるからその仕事をしているんじゃないのかな。
お金や地位に惑わされて、本当に大事なものを失いかけてないかな。

やんばるの森を守りたい

緑豊かな、やんばるの森を守りたいとヘリポートに反対する住民に、今月、機動隊500人投入したという事実を知った。森を守りたい。そんな思いで頑張っている彼らの行動を伝えずにはいられない。

心の平和を失いかけてるんじゃないのかな。圧力をかけてくる人たちは。
http://ryukyushimpo.jp/news/entry-321114.html

INOは『心地よく生るため』子供と一緒にこれからを生きたい。
私は、主役じゃなくて子供が主役だと思うし、その主役のために、サポートできることをできる範囲で、お金が無くなりそうになっても、なんとかなるし(笑)、より楽しく生きる選択をしたい。

なんとかなる人生だもの。あきらめた心には、何も起こらないかもしれない。この人生を十二分に、精一杯生きたいから、がんばっちゃうINO。でも心地良くを忘れずに。だね。


子供たちが生き生きとしていられる世の中のためにだったら、ちょっと自分が傷ついたとしてもいいんだ。シドロモドロな人生だけど、ワクワク心が熱くなるような選択をこれからもしていくと思う。
『やんばるの森』いつか行ってそこに住む人たちともお話してみたい。

みんなはどお思うのかな。やんばるの森に起きていること。

ひとつ終わって

INOは八ヶ岳にいるけれど、はじめから無理してた。自分と違うものに合わせようとして生活したのが間違いのもとだった。
選挙が終わって、疲れ切って、あ〜なんかそう思ってしまった。

早くどうにか動きたい。でも動けなくて、昨日は動けないことが苦しくて、眠れず、、
一番はエアーストリームを放置したままじゃ、動けない。

そう思って今年の2月まで、エアーストリームどうにかしなきゃって、
いらないものを解体して、途中でお金が無くなって、スーパー極貧生活キリキリしながらの冬だった。

元旦那が一度だけ家に荷物を取りに寄り、解体作業をしてる私をほくそえんで見て帰ったこともあった。


お金を作りつつ、仕事にもつながるスキルをもうひとつ磨いて、自信を無くしかけてた自分に新しい風を送った。
今日は知り合いのこうちゃんに原村から来てもらい、エアーストリームの細かい解体手順を教えてもらって、ちょっと落ち込んでた気持ちが上向いたよ。

明日から、また自分が動くために動けるように、がんばろっと。


ホームページ良かったら覗いてみてください。
CAFEはまだ架空のスペースだけれど、ハワイアンヒーリングは受け付けています♪
http://utasaya.com

息子が言った言葉

今日、息子と動画を見ていたら

息子が『選挙に行きたい』

そう言った。


息子は10歳。どんな子とでも、どんな年齢の人とも、なんの塀もなくコミュニケーションしてく。
それは、INOが小さいころ圧迫されてた時間とは全く反対の環境の中で育ってきたからかも。


『人を受け入れること』


小さい時からいろいろな人と接し、年齢も国籍も関係なく、自分が楽しむことを他人と分かち合う。そうゆうコミュニケーションがいつもあり、自分の喜びを他と分かち合うことが、コミュニケーションになり、囲いがほとんどない世界にいる。


『人を疑うこと』『誰かより優位に立つこと』そんな時間ばかりの世の中だけど、

それは親や教育の場が、小さな彼らから『信頼』を遠ざけてしまったからじゃないのかって思う。


10歳で選挙に行きたい!
そう息子に思わせたのは、都内で熱い心を持って、新しい日本のために奮闘している2人が現れたからだ。

私が小学、中学、そして高校になっても、
”オヤジ臭くて”関心を全くもなかった政治へのイメージを、大きく変化させてくれたから。


『何をやってるのか分かりにくい』今の国の在り方を、変えるのは、

私。

そして18歳以上のあなた。選挙権のある都内の若者、働く者、
今までとこれからを本当に心のある日本に再生させたい!!って思うから、ネットでちゃんと自分にフィットする候補者選んでいこう。

子供たちと、選挙真っ只中の東京へ行こうって言ってる。
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