あれから、ちょうど一か月

キネシオロジー

一か月前のこと。何度か耳にしたことがあった”キネシオロジー
ラジオのパーソナリティーがブログで紹介していたのを読んで、自分にフィットしそうだなと直感。
閑静な住宅街でキネシオロジーを受けてきました。受けるまでは、INOは全く自覚していなかったのだけれど、

蜘蛛の糸のようにと〜っても細い気。その細い一本の気で体を毎日持ち上げて過ごしていたような感じでした。
キネシオロジーを受ける前日のことを振り返ると、よくあの状態で電ノコとか回していたな・・・とも思う。(笑)内装を自分でしているINOです〜。

セッションに入って40分間くらいかな、、INOはただベッドに仰向けに寝ているだけ。カウンセラーは筋反射を取りながら、黙々と何かを書留めていて
最初は何をしてるの?って感じだった。
初めはただ寝そべっている状態だったから正直退屈(*_*)

でもそのあとからの時間はかなり濃厚で、ストレスのある脳の箇所とか、過去に受けたひどい経験だとかを体は正直に記憶していて、
様々なことをカウンセラーが引き出してくれていた。
これまでの苦しい思いを体に詰め込み、押し殺していた。それを体の奥から、やっと解放することができて涙が止まらなかった。

よく右と左を言い間違える

INOは結婚中に車に乗っていて、よく「右!右!」と言いながら左を差していたり、その逆のことも言ってしまうことがよくあった。これは自分の母親にも言えることで、
遺伝みたいなもんだと思っていた。けれどこのセッション中に、そういったことが起こるのは、実は脳の回路の中にストレスの箇所があると起こると知らされた。

あることをしたくて、脳に命令が行くのだけれど、その途中にストレスがあるとそのストレスを回避したときに、そのまま反対の方へ命令が行ってしまうことが起こる。
”その結果右が左になってしまったり、最初に考えていたことが、そこにまたストレスが発生すると逆の言葉が出てしまったりもする”ということだった。
自分の若いころに起きた強いストレスは、脳の回路にストレスを残していたんだ。

ベッドに横たわりながら、カードをINOの身体に滑らせていく。3種類引くように出てきたので一枚づつ引く。そして、引いた順番も大切だと。最初に出てきたのは

”あなたは完全に守られている。だから安心しなさい”

INOは子供を産んでからよく戦争へ行った祖父が脳裏に出てきていた。だから、祖父はいつも私を見守っていくれてる。そう思っていた。だからこのカードの意味はすぐに体に浸透した。

”変革”
次のカードは変革だった。それは、これから自分が選択していく物事に映し出されていくんだろう。

”東を向いて笑い、西を向いて微笑みなさい”ユーモラスなシーサー。

もともとユーモアが足りない?
いや違うな、、思い返せば幼いころは3人兄弟の中でも一番ユーモアがあったINO。その後の出来事でそういったことができなくなっていたんだろうな。
いつかシーサーのいる沖縄に微笑みを。

目標を立てる

カードを引いたあと、体からの反射によって出てきた事柄を踏まえこれからの自分を、言葉にして目標を立てるという作業へ。

そして最後に音叉。これは、ブループリントに触れることになるので、受けたあとにひどい引き籠りになったり、家庭崩壊へ向かってしまう人もいるのであまりお勧めはしないと言われた。
でも、筋反射では受けるようにって言っているらしく、すごーく音叉を受けたい自分がいたので、大丈夫です!ってお願いした。

ああ、やっぱり受けてよかった〜〜。半分無意識の状態で音叉の倍音の中に体が包み込まれる。
セッションは思っていた以上に長くて、終わったときに時計を見てびっくりしてしまった!これから一か月間、自分の中の整理が始まるのだろう。まだまだ気持ちは暗いけど、セッションいいタイミングで受けられた気がする。

苦しみを通して、花開くように

あれから一か月。最後の一週間が精神的に一番、本当に苦しかった、、。最後の金曜日は、苦しくて重い心を抱えてしまってたのだけれど。それが、、その苦しくて重い心の力で扉を開けたように心が平坦になった。
ふわっと開いたものだから、ぽけーーっとしてしまったINO。色々なことを忘れて、あー!!やっちまったー!ちょっと失敗!でも、その失敗も結果的に周りとのコミュニケーションに繋がって、今までとは違う繋がりもいくつか出来てきた。

INOにとって、実の姉は私に対して、いつも冷淡な人だった。表向きは穏やかなんだよね。成績もいいし、人付き合いもうまい。
INOがカナダへ1年間行ったあと、姉がネパールに滞在していることを母親から聞き、姉の親友が姉たちの一行にこれから合流するから、一緒に行く?と聞いてきた。向こうで落ち合おう!という流れになった。携帯なんかなくて、海外とはファックスでやり取りをしてた時代。姉がインドにいつ入るとか、どこで落ち合うとかはほとんど大まかに把握しているだけの姉の親友は、インドは何とかなるものよ〜と。なんだかワクワクしてしまった。
インドに着いて初めの数日は、向こうで出会った日本人と数日は一緒に行動をしていて、そのうち姉の親友たちにも出会うことができた。それから数日後、バザールを歩いていたら、バザールの向こうから歩いてくる姉が視界に入ってきた。姉に顔を合わせると、
”なんであんたがここにいるのよ!”
冷淡な姉の一言に、ちょっとたじろいだINO。

キネシオロジーから1か月経って、思い出したことがあった。姉を妊娠したあたりで、うちの母は風邪薬を飲んでしまった。その影響が胎児に出ないか心配していたという。五体満足で生まれてきて母はホッとしたのだった。でも、もしかしたらそういった薬が胎児の心に影響を及ぼしているかもしれないってINOは感じた。そう思ったら、姉の冷淡さも仕方がないことだったんだと今受け入れることができた。

昨日、今日と日が経つにつれ、少しづついろんな事が開放に向かっている。
体にはいろんな記憶が閉じ込められてるんだね。。。そして、苦しみは自分の人生をより豊かにするためへのヒントも隠されている。

今日は久しぶりに子供たちと外に出て、体も動かして、一緒に絵を描いてハマったり、共同作業をしたり。。
忘れていた時間の過ごし方を思い出して心がホッとした。

その夜、サルガドの映像に出会う。
https://www.youtube.com/watch?v=mylzHrHA0J4
原住民がみな穏やかであるように、INOも忘れていたことを少しづつ日々に取り入れていこう。
そう思った夏の終わりのINOでした。