フラッシュバック

過去の記憶は危険信号として大脳に残り
フラッシュバックされる

”7歳と44歳の時に何か心に深く残る出来事がありましたね”
今年の9月にキネシオロジー*1のセッションを受けてそう言われたとき、そのとき7歳の自分に何が起こっていたのか、何も思い出すことができなかった。

先週の日曜日、横浜でNVC*2のワークショップを受けて
キネシオロジーで言われていた7歳のころの出来事が何だったのか分かった。

小学校に入って入間に引っ越し、同じ団地に住む友達兄弟と、コンクリートで囲った花壇の淵の上を走って遊んでいた。
私は足を踏み外して、コンクリートにお腹をぶつけてしばらく動けなかった。でも、そうゆうとき、なぜか自分の体が苦しいということを周りに言うことができなかった。
すぐ近くに姉はいたけれど、私の様子を遠めに見ているだけ。


その時の記憶。


同じような体験をしたことがあったのは、
大きな材を人工乾燥機に入れる作業をしていて、自分の足を滑らせて材の上に落ち、お腹を思いっきりぶつけたことがあった。
でも、自分の身に起きたことや失敗を、周囲の人にに気づかれないように、何食わぬ顔をしてしまう癖があった。私の人生の中で、一番信頼していた彼氏にも言うことがなかった。


そのときの体は、過去の記憶をフラッシュバックさせていたのかもしれないけれど、自分の内面に気づく自分はまだいなかった。それから私はカナダへ初めての旅に出てそれは、自分探しの旅のはじまりだったのだろうけれど、それさえも明確じゃなくて、行く先々でいつも違和感を感じながら、旅を続けていた。


私が生まれて育っていく中で、身近な家族から気を止めてもらう経験が少なかったことが、自分と他人を身近に感じることができずに壁を作り、そしてそれを隠すように振舞ってきたんだと思う。
NVCのワークから、自分の過去の記憶と今の自分が苦手とする理由の、こんがらがっていた糸がほどけていくように理解できた。

赤ちゃんは4か月で自分とお母さんの関係から、筋肉や心の動く範囲が決まる


それはその子の心や体の発育に大きく影響を与える

結婚してから、母が私の赤ん坊のころの話を何度かしてきたことがあった。
歩行器で何度も転んで失神っを起こして、、何度も転んでこんな風に失神して、と笑う。


今振り返って、母の母性を感じることがなかったと気づく。ひっくり返ることが分かっているのなら、、と考えてしまう。
家族に対して手を差し伸べる親の姿を見たことがなくて
いろんな小さな ”はてな ”がはっきりしはじめた。


父は大学教授だったけれど、クリスチャンでもあるのによく殴った。そんな父を人間として尊敬できずにいた私だから、教育者をあまりいい目で見てこれなかったのだとも、今は思う。


誰かが近くにいることに違和感のような、不安がある


生まれて数か月から、高校卒業後の親元を離れるまで、いつもどこかに疎外感を感じていた私の体。
NVCでサラ・ペイトンに抱きしめられて、初めて心の底から涙が出て、体の痛みが消えた気がした。

アルバムのどの写真を見ても心から笑っている私がいなかったのは、両親や兄弟の間に肌で暖かさを感じる時間がなかったように思う。父を責めないのは、小さい頃、車の中で私が眠ってしまうと、父がいつも私を両手で抱いて部屋まで運んでくれた体の記憶があるのかもしれない。
過去の記憶を振り帰ってみても、母に抱っこされた記憶がないことも最近気がついて。
寝たふりをして父に抱っこしてもらってそこに人肌を感じていたのかも。


自分はシャイな性格なのだと思って生きてきたけれど、
私の幼少期は想像力やユーモアがいっぱいあった。
残念だけれど、想像を膨らまして作ったものは翌日にはどこにもなかった。そのときはがっかりしても、すぐに忘れていた気がするけれど。

小学校の時は泣き寝入りをすることが多かったことも思い出して
私が女の子としての時間を存分に楽しむことができなかった理由が見えて来た。


自分と自分以外に、深い崖のような隔たりが自分の周りに出来ていることも、そんな感覚が自分にあることさえも、今まできちんと認識していなかった。


兄弟たちは、家族なのに、家族ではなかった。家で生活しているけれど、繋がりというものがなかった。


体に痛みを感じていても、心に痛みを感じていても、母が父が兄弟が手を差しのべた記憶は私にはなかった。


どんなに苦しくても、どんなに悲しくても、ひとりでこらえるしかない、そうゆう家族の中にいたんだなと。

長年その中にいると
気づかなくて


高校を卒業して親元を離れてからの人生は、愛されることが毎日あって、薔薇色の時間だった。

その理由を当時の私は全く理解していなかったから、私を深く愛してくれる人の気持ちを、充分には受け取ることができなかったんだということも、今は理解できる。

親が愛情を注げない理由


原因はきっと親自身の人生で家族や身近な人を亡くしたり、不安定な環境や未熟な理解のために、
産まれてこなかった者への自分の心の整理をつけないまま私達が生まれてきたからということが言えるようだとサラのワークで知って少しは気持ちが楽になった。

親やパートナーが素直な心になれないでいるのは、世の中に起きた争いが起因しているんじゃないか。色々整理していく中でそう思い当った。そして、それはNVCのワークショップでも行きついたことだった。

父や母が戦争前後に、愛情を充分にもらう代わりに、寂しさや差別的なことを受けていたことが、体や心の記憶に未だに残っていて、それを水に流すことができないでいるから、身近なものへ自分がされてきたことを繰り返してしまう。

両親はこちらを見ることも、愛情を注ぐこともできず、教会という括りの中で自分は守られていると、ずっと何かからか自分を守るために通っているのかもしれない。


なんで気づいてくれない?
自分を見つめようとしない?


親が愛情表現をしないもどかしさに、イライラしている自分がいて

そのイライラや疎外感を埋めたくて、マクロビオティックにハマり、自分の心の満たされない部分を埋めようとしていた、と気づけたのは離婚をしてから。


何かに飢えていて、カフェやレストランに出かけてみたけれど、満たされることはない。

自分を満たすことができるのは、自分の料理だけなんだと再度気づくのに、かなり遠回りをしてしまった。

私が居心地よくいられるところは?


自分を満たせるものは、自分で作る
そう考えていたわけではなかったけれど


私の元に生まれてきた子供たち

彼らがいるだけで充分なんだ
いつも笑顔を向けてくれる彼らに
どうしてそんなに笑顔を向けてくれるのか不思議だったけれど、
やっと気づいた私。


生まれてから、1分1秒その成長を見つめて、お互い安心の中にいる関係性は、いつの間にかできていた。

「彼らが望む生き方を支えて行きたい」

その思いが強かった訳も今更分かったりして。


彼らと人生を楽しむことを選んで、
いつまでも、そのとびきりの笑顔、素直な心で育って欲しいと願う。


私の人生の宝物は目の前にやってきていたんだね。


大好きな子供たち
自由に思う存分生きてほしいから
母もあなたたちのために頑張るね😊

*1:筋反射テスト

*2:共感コミュニケーション